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「公平」とは何か――吹雪の試験会場で考えたこと
2026.02.04
「公平」という言葉ほど、使われる場面によって意味が微妙に変わるものも、そう多くはないように思います。
今年も受験シーズンがやってきました。受験生にとって、試験当日の天候は、実力とは無関係に結果を左右しかねない要素の一つだと言われています。
30年ほど前、極寒の2月にニューヨーク州の州都オールバニで、バーエグザム(司法試験)を受験しました。試験日前日から大雪になるとの予報を受け、万一に備えて2日前に現地入りし、ホテルも確保しました。
試験当日は早朝から吹雪いていましたが、徒歩で何とか会場に到着できました。多くの受験生がそれぞれの判断と工夫で集まり、開始時刻までに指定席に着いていました。
やがて試験官が壇上に立ち、こう告げました。
「大雪のため開始時間に間に合わない方もいますが、時間通り来られた受験生のため、本日の試験は予定通り実施します。」
その瞬間、会場から大きな拍手が起こりました。
誰かが特別に優遇されたわけでも、切り捨てられたわけでもありません。想定し、準備した結果が、そのまま扱われただけでした。その判断に、少なくとも時間通りに会場へ到着していた受験生の多くは、静かに納得していたように感じました。
一方、日本では、大雪や交通機関の乱れを理由に、試験開始を2~3時間遅らせることも珍しくありません。早く到着した受験生も、途中で足止めされた受験生も、結果として同じ時間を待つことになります。
日本では、会場に到着できなかった受験生の不利益を重く見る判断が、広く受け入れられてきました。その考え方には、理解できる面があります。
ただその一方で、予測し準備して時間通りに到着した受験生が、寒さの中で待つことになる点は、あまり議論されてこなかったようにも思えます。
どの判断が正しいかを論じるつもりはありません。ただ、準備した人としなかった人の差を消し去ることが本当に「公平」なのかは、改めて考えてみる余地がありそうです。