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崩れゆく神話
2026.02.18
米国を中心に海外では、いわゆるエプスタイン関連文書の公開をめぐり、これまでけっして目に触れることのなかった社会の深層にまで及ぶ議論が続いています。
事実関係については慎重な見極めが必要ですが、多くの人が感じているのは、これまで揺らぐことのなかった権威や構造に、改めて光が当たり始めているという空気です。
欧米と比べ、日本では報道の熱量にかなりの温度差があるようにも見えますが、世界ではこの問題を単なるスキャンダルとしてではなく、権力と透明性のあり方を問い直す契機として受け止める動きも広がっています。
歴史を振り返れば、このような局面は決して珍しいものではありません。
中世ヨーロッパでは、絶対とされていた教会の権威が問い直され、宗教改革が起こりました。
やがてルネサンスが広がり、人々は「自ら考える」という姿勢を取り戻していきました。
それは破壊の時代というより、目覚めの時代だったのだと思います。
いま私たちが目にしている出来事もまた、構造や前提を見直す転換点の一つなのかもしれません。
信頼してきたものが揺らぐとき、人は不安になります。
しかし、その揺らぎこそが、意識の転換を促します。
覚醒とは、誰かを糾弾することではなく、
外側の出来事に振り回されず、自分の内側の軸を確かめること。
歴史的な転換期には、情報が溢れ、混乱も生まれます。
それでも、混乱の中から新しい価値観や秩序が芽吹いてきました。
もしこれからさらに衝撃的な事実が明らかになるとしても、
恐れに支配されるのではなく、より誠実で透明な社会を望む心を失わないこと。
闇が見えるのは、光に目が慣れ始めた証でもあります。
大きな変化の前に、まず問われるのは社会の構造だけではなく、私たち一人ひとりの意識なのかもしれません。
静かに、しかし確かに。
自ら考え、自ら選び、自ら立つ。
目覚めとは、世界が変わる前に、自分の内側から変わることなのかもしれません。